転職で年収が上がること自体は、悪い話ではない。マイナビの転職動向調査(2025年実績)によれば、転職者の平均年収は転職前より19.2万円増加している。30代に限れば32.4万円のプラスだ。

だが、市場のレートで言うと、年収が上がった人のうち約3割が「この転職は失敗だった」と感じているというデータがある。数字だけ見れば成功しているのに、なぜ後悔するのか。

エージェントとして8年、年間100名以上の転職を見てきた立場から断言する。年収アップ転職で後悔する人には、ほぼ例外なく共通する5つの構造がある。そしてその構造は、入社前に見抜ける。

年収アップ転職で後悔する人の5つの構造

構造1:年収の「内訳」を確認していない

年収800万円から950万円にアップした、と喜ぶ人がいる。だが内訳を見ると、基本給は横ばいで、増加分はすべて「見込み残業代」と「業績連動賞与」だった——というケースは珍しくない。

年収提示の構造はこうだ。企業は「想定年収」を高く見せるために、残業40時間分の固定残業代や、満額支給された場合の賞与を含めて提示する。だが実際に満額が出るかは別の話で、業績連動賞与は前年度実績の半分以下になることもある。

確認すべきは「基本給×12ヶ月」の額だ。ここが前職より下がっていれば、想定年収が上がっていても実質的にはリスクを取っただけの転職になる。

構造2:「時給換算」をしていない

年収が100万円上がっても、月の残業が40時間増えていたら時給は下がっている。これは算数の問題だが、内定の興奮状態では見落とす人が多い。

私は候補者に必ず「年収÷年間総労働時間」を計算させる。仮に年収700万円・月残業10時間の職場から、年収850万円・月残業50時間の職場に移ったとする。前者の時給は約3,500円、後者は約3,200円。年収は150万円上がったのに、時給は300円下がっている。

朝6時に起きて市場分析をする生活を8年続けているが、この「時給換算の罠」にハマった候補者からの相談は、転職後半年〜1年で急増する。

構造3:「なぜその年収を出せるのか」を考えていない

市場相場より明らかに高い年収を提示してくる企業には、構造的な理由がある。

  • 離職率が高い:人が定着しないので年収を上げて採用コストを回収しようとする
  • 急成長フェーズで人が足りない:入社後の業務負荷が想像以上になる
  • ポジションに前任者がいない:新規ポジションで業務範囲が不明確
  • 年収で釣る戦略:入社後の昇給テーブルが存在しない

高い年収には「高い理由」がある。エージェント側の事情を明かすと、企業が相場の120%以上の年収を出す場合、担当者レベルではその理由を把握している。だが候補者にはあえて聞かれない限り伝えないことが多い。なぜなら、年収が高い案件は成約すればエージェントの報酬も高くなるからだ。

構造4:「社内等級の位置」を確認していない

年収950万円で入社したとして、その会社の等級テーブル上で自分がどの位置にいるかを知らない人が多い。

もし950万円がその等級の上限に近い額なら、入社後に昇給する余地はほとんどない。数年間、年収がほぼ固定される「天井張り付き」の状態になる。一方、前職の800万円がその会社の等級上では中間だった場合、数年で同じ950万円に到達する可能性があった。

転職で年収が上がった分を、入社後の昇給機会を先食いしただけ——という構造は、入社1〜2年後に「なんで頑張ってるのに給料が上がらないのか」という不満として表面化する。

構造5:「年収以外の報酬」を計算していない

前職の福利厚生を金額換算していない人は驚くほど多い。たとえば以下は、転職先には存在しないケースが多い「隠れ報酬」だ。

  • 住宅手当(月3〜5万円=年間36〜60万円)
  • 退職金の積み増し(年間50〜100万円相当)
  • 企業型確定拠出年金のマッチング拠出
  • カフェテリアプラン(年間10〜20万円相当)
  • 通勤手当の非課税枠

これらを合算すると年間100〜200万円になることもある。年収が150万円上がっても、福利厚生が100万円減っていれば、実質的な手取り増は50万円。そこに転職リスクや新環境へのストレスを加味すると、割に合わない転職だった——と気づくのが入社1年後だ。

年収アップ転職で後悔しないための3つのチェックポイント

ここまで読んで「じゃあ年収で転職先を選ぶな」と感じたかもしれないが、そうではない。年収は転職の重要な軸だ。問題は、年収の「額面」だけで判断することにある。

チェック1:総報酬シートを作る

以前支援した年収700万円のシニアエンジニアが、最終的に1300万円のオファーを勝ち取った事例がある。この候補者が成功した理由のひとつは、内定前に「総報酬比較シート」を作っていたことだ。

具体的には、以下の項目を現職と転職先で並べる。

  • 基本給×12ヶ月
  • 固定残業代(月の想定時間と単価)
  • 賞与(過去3年の実績平均)
  • 住宅手当・家族手当
  • 退職金の年間積み増し額
  • 福利厚生の金銭換算
  • 年間総労働時間(残業込み)

ここまで並べると、「年収150万円アップ」の実態が「実質手取り30万円アップ+労働時間年間480時間増」だったと判明することがある。

チェック2:入社後の昇給シミュレーションを聞く

面接で「3年後の想定年収レンジ」を聞くのは気が引けるかもしれないが、エージェントを通せば自然に確認できる。聞くべきは以下の3点。

  1. 提示年収は等級テーブル上のどの位置か(下限寄り・中間・上限寄り)
  2. 次の等級への昇格に平均何年かかるか
  3. 業績連動賞与の過去3年の支給率

これを聞いて嫌な顔をする企業は、そもそも透明性に問題がある。

チェック3:退職者の転職先を調べる

年収交渉のレバーは3つだけ——他社オファー、市場データ、貢献の具体化——と私は言い続けているが、転職先を選ぶ段階ではもうひとつ重要な情報がある。その会社を辞めた人がどこに転職しているかだ。

退職者が同業他社の同ポジションに横移動しているなら、キャリアの積み上げができていない可能性がある。一方、退職者が上位ポジションや異業種のマネジメント職に移っているなら、その会社での経験が市場で評価されている証拠だ。

OpenWorkやLinkedInで在籍者・退職者の動向を追えば、ある程度の傾向は見える。

「年収で選ぶな」ではなく「構造で選べ」

転職理由の1位は5年連続で「給与が低い・昇給が見込めない」(パーソルキャリア調査、2025年版で36.6%)。年収を上げたいという動機は正当だし、市場が許す限り上げるべきだ。

だが、エージェントとして8年で見た「転職してはいけないタイミング」のひとつに、「年収の額面だけで意思決定している状態」がある。感情ピーク時の即決と同じで、冷静な構造分析なしに動くと、1年後に同じ不満を抱えて再び転職市場に戻ってくることになる。

年収アップ転職で後悔しない人は、例外なく「額面」ではなく「構造」で選んでいる。総報酬で比較し、時給で計算し、3年後の昇給余地まで見る。地味だが、これが転職で年収を上げつつ後悔しないための唯一の方法だ。

よくある質問

Q. 年収がどれくらい上がれば転職する価値がありますか?

A. 額面の上げ幅だけでは判断できません。総報酬(福利厚生・退職金込み)で比較し、時給換算で前職を下回らないことが最低条件です。目安として、総報酬ベースで10%以上のアップがあれば転職コスト(環境適応ストレス・人間関係の再構築等)に見合うケースが多いです。

Q. 固定残業代が含まれる年収提示は避けるべきですか?

A. 固定残業代自体は違法ではありませんし、多くの企業が採用しています。重要なのは「基本給×12ヶ月」がいくらかを確認することです。固定残業代を除いた基本給が前職より下がっているなら、提示年収が高く見えても実質的にはリスクを取っている可能性があります。

Q. 面接で年収の内訳や昇給テーブルを聞くのは失礼ですか?

A. いいえ。最終面接や内定後のオファー面談で確認するのは合理的な行動です。エージェントを通じて確認すれば、候補者が直接聞くより角が立ちません。逆に、こうした質問に回答を渋る企業は、報酬体系の透明性に課題がある可能性があります。

Q. 転職エージェントは年収が高い案件を優先的に勧めてきますか?

A. エージェントの報酬は入社者の年収の30〜35%が相場です。年収が高い案件のほうがエージェントの報酬も高くなるため、構造的なインセンティブは存在します。だからこそ、候補者自身が総報酬で比較する習慣を持つことが重要です。複数のエージェントの提案を比較するのも有効ですが、3社以上の併用は対応優先度が下がるため、2社程度に絞ることを推奨します。

Q. 年収ダウンの転職は避けるべきですか?

A. 一概には言えません。3年後の市場価値が上がるポジションであれば、短期的な年収ダウンが中長期的には正解になるケースがあります。判断基準は「3年後に今のオファー額を超えられる成長環境かどうか」です。

参考文献