「退職代行を使えば、もう何もしなくていい」——そう思っている人は、少なくありません。実際、退職代行サービスの利用者は年々増加しています。しかし最近、私の社労士事務所には「退職代行を使ったのに、会社が対応してくれない」という相談が目立つようになりました。

労働基準法第5条は強制労働を禁止しています。退職の自由は、憲法22条の職業選択の自由にも関わる重大な権利です。しかし、退職代行サービスを「使いさえすればすべて解決する」と考えるのは、労基署7年、社労士3年の経験から言えば、危険な思い込みです。

2026年2月「モームリ事件」で何が変わったか

2026年2月、大手退職代行サービス「モームリ」を運営する株式会社アルバトロスの代表取締役らが、弁護士法違反(非弁提携)の疑いで逮捕されました。容疑の骨子は、退職代行の利用者に特定の弁護士を紹介し、1件あたり約1万6,500円の紹介料を受け取っていたというものです。

この事件を境に、企業側の対応が明確に変わりました。東京商工リサーチの2026年4月の調査によると、企業の約3割が「非弁行為の可能性がある業者とは一切取り合わない」と回答しています。「業者経由では話しません。本人と話したい」——こう通告される事例が急増しています。

監督官時代に見たのは、労使トラブルの背景にはほぼ必ず「法的構造の理解不足」があるということでした。退職代行の問題も、根は同じです。

退職代行が企業にスルーされる3つの原因

原因1:民間業者が「交渉」に踏み込んでいる

退職代行サービスには大きく3種類あります。

運営主体できることできないこと
民間企業退職意思の伝達(使者)交渉全般(有給・退職日・未払賃金)
労働組合退職意思の伝達+団体交渉法的代理(訴訟・労働審判)
弁護士退職意思の伝達+交渉+法的代理

弁護士法第72条によると、弁護士でない者が報酬を得る目的で法律事件に関する交渉を行うことは「非弁行為」として禁止されています。民間の退職代行業者が有給消化の調整や退職日の交渉に踏み込めば、この規定に抵触します。

企業の顧問弁護士がこの構造を把握している場合、「非弁業者とは交渉義務がない」として一切の対話を拒否するのです。

原因2:「退職の意思表示」が法的に成立していない

退職代行業者が電話やメールで会社に連絡しただけでは、法的に有効な退職の意思表示とならないケースがあります。

民法第627条第1項における退職の意思表示は、「本人の意思に基づくもの」であることが前提です。企業側が「本当に本人の意思か確認できない」と主張し、直接の確認を求める場合、業者経由の伝達だけでは手続きが止まります。

特に問題になるのは、退職届という書面を本人名義で提出していないケースです。口頭や業者経由の伝言だけでは、「言った・言わない」の水掛け論になり得ます。

原因3:付随する労務問題が未解決のまま放置される

退職代行を使う人の多くは、単に「辞めたい」だけではありません。未払残業代がある、有給休暇を消化したい、退職金の計算に納得がいかない——こうした付随問題が絡んでいることがほとんどです。

民間の退職代行業者はこれらの交渉権限を持ちません。結果、「退職は伝えたが、未払賃金が回収できない」「有給消化を拒否されたが、業者は何もできない」という中途半端な状態が発生します。

以前、労基署時代に退職代行業者経由のトラブル相談が増加した時期がありました。調べていくと、退職代行は「退職意思表示」のみ可能で、未払賃金交渉や労使紛争の解決は弁護士か社労士でなければ対応できないと判明しました。記事にして「退職代行ですべて解決ではない」と書いたところ、SNSで激しく議論を呼んだことを覚えています。あの時の結論は、今も変わっていません。

確実に退職するための3ステップ

ステップ1:退職届を自分の名義で書面提出する

退職代行を使う・使わないに関わらず、退職届は本人名義の書面で提出するのが鉄則です。最も確実な方法は内容証明郵便です。

内容証明郵便を使えば、「誰が・いつ・誰に・どんな内容を送ったか」が郵便局により公的に証明されます。費用は1,300〜1,500円程度。e内容証明(電子内容証明)ならオンラインで24時間手続き可能です。

退職届に記載すべき4項目:

  • 「退職届」という表題(「退職願」ではなく「退職届」)
  • 退職日(内容証明の発送日から最低2週間後の日付)
  • 差出人の氏名・住所
  • 宛先(会社名・代表者名)

毎朝5時に起きて判例と行政通達をチェックするのが日課ですが、内容証明による退職の意思表示に関して、その有効性を否定した判例は確認されていません。到達主義を理解すれば、退職は必ず実現できます。

ステップ2:交渉が必要なら「弁護士」か「労働組合」を選ぶ

退職に伴って以下の問題がある場合は、交渉権限を持つ専門家を選んでください。

  • 未払残業代がある → 弁護士に依頼(成功報酬型の事務所も多い)
  • 有給休暇の消化を拒否されている → 労働組合または弁護士
  • 退職金の計算に不服がある → 弁護士に依頼
  • パワハラの慰謝料を請求したい → 弁護士に依頼
  • とにかく辞めたいだけ → 内容証明郵便で自力対応可能

労働基準法第39条によると、有給休暇の取得は労働者の権利です。退職時の有給消化については、会社の時季変更権はほぼ行使できません。変更先の労働日が存在しないためです。この点を知っているかどうかで、結果が大きく変わります。

ステップ3:証拠を保全してから動く

退職届を出す前に、以下の証拠を確保してください。退職後ではアクセスできなくなる情報が多いためです。

  • タイムカード・勤怠記録のスクリーンショットまたは写真
  • 給与明細の直近12ヶ月分(PDFまたは写真)
  • 有給休暇の残日数がわかる資料
  • 上司・人事とのやり取り(メール・LINE・Slackの履歴)
  • 就業規則の退職関連条項(社内ポータルのスクリーンショット)

証拠保全は、行政指導を求める際にも、労働審判を申し立てる際にも、成否を左右する最重要ステップです。

退職代行を「正しく」使うための判断フロー

退職代行サービス自体が悪いわけではありません。重要なのは、自分の状況に合った種類を選ぶことです。

判断の基準は「交渉事項があるかどうか」です。

  1. 交渉事項なし(退職の意思を伝えるだけ)→ 民間業者でも可。ただし内容証明郵便で自力対応すれば費用ゼロ
  2. 有給消化・退職日の交渉がある → 労働組合運営の退職代行を選ぶ
  3. 未払賃金・慰謝料の請求がある → 弁護士運営の退職代行を選ぶ

費用の目安は、民間業者が2〜3万円、労働組合が2.5〜3万円、弁護士が5〜10万円です。ただし、弁護士に依頼して未払残業代を回収できれば、費用を差し引いても大幅にプラスになるケースが多いです。

よくある質問(FAQ)

Q1. 退職代行を使ったら次の転職に不利になりますか?

法的には、前職の退職方法が次の転職先に通知される仕組みはありません。退職代行の利用が転職先に伝わるのは、同業界内の口コミなど限定的なケースです。ただし、退職時の引き継ぎを一切せずに辞めた場合、業界内での評判に影響する可能性はあります。最低限の引き継ぎメモを書面で残すことを推奨します。

Q2. 退職代行に連絡したら、会社から直接電話がかかってきました。出る義務はありますか?

法的に電話に出る義務はありません。ただし、退職届を本人名義で書面提出していない場合、本人確認のための連絡である可能性があります。その場合は「退職届は内容証明で別途送付します」と伝えれば十分です。

Q3. 民間の退職代行業者を使ったあとで弁護士に切り替えることはできますか?

できます。民間業者で退職意思の伝達だけ済ませた後、未払賃金等の問題が残っている場合は弁護士に改めて依頼してください。ただし二重に費用がかかるため、最初から状況を整理して適切な依頼先を選ぶほうが効率的です。

Q4. 退職代行を使ったのに会社が離職票を出してくれません。どうすればいいですか?

雇用保険法第76条第3項により、会社は退職者に対して離職票を交付する義務があります。交付されない場合は、ハローワークに申し出れば、ハローワークから会社に催告してもらえます。それでも対応がない場合は、行政指導の対象になります。

Q5. 退職代行で会社にスルーされた場合、そのまま出勤しなくていいですか?

退職届を内容証明郵便で別途送付し、退職日が到来すれば出勤の義務はありません。ただし、退職届を出さずに無断欠勤を続けた場合、懲戒解雇のリスクがあります。必ず退職届の書面提出は行ってください。

参考文献・出典

※ この記事は一般的な法律知識の提供を目的としたものであり、個別の法律相談ではありません。具体的な対応は弁護士・社労士にご相談ください。