「夏のボーナスが振り込まれたのを確認してから退職を伝えよう」——SNSではこうしたアドバイスをよく見かけます。逆に、ボーナス支給日より前に退職の意思を伝えてしまい、賞与が大幅に減額された、あるいはまったく支給されなかったという相談が、社労士事務所には定期的に入ります。

結論から言えば、退職予定者の賞与を減額すること自体は違法ではありません。ただし、減額には法的な限度がある。ここを知らないまま泣き寝入りしている人が、監督官時代に見たのは、想像以上に多かったということです。

この記事では、2026年5月時点の法令・判例をもとに、退職時のボーナスを守るために事前に確認すべき3つのポイントを整理します。

退職予定者のボーナスは法律で保護されているのか

まず押さえておくべき前提があります。賞与(ボーナス)の支給は、労働基準法上の義務ではありません。月々の賃金とは異なり、ボーナスは就業規則や労働協約、個別の雇用契約で定めがある場合にのみ支給義務が発生します。

労働基準法第11条によると、賞与は「賃金」に含まれます。つまり、就業規則で支給条件が定められていれば、それは労働契約の一部となり、会社は一方的に不支給にはできない。ここが重要です。

問題は、多くの就業規則に「支給日在籍要件」と呼ばれる条項が入っている点にあります。

「支給日在籍要件」の法的効力と大和銀行事件

支給日在籍要件とは、「賞与は支給日に在籍している者に対してのみ支給する」という就業規則上の定めです。この要件が有効かどうかを争った代表的な判例が、大和銀行事件(最判昭和57年10月7日)です。

最高裁は、この事件で支給日在籍要件の有効性を認めました。判旨の骨子はこうです。

  • 賞与の具体的請求権は、支給基準の決定と査定を経て初めて発生する
  • 支給日に在籍していることを要件とすることは合理的であり、有効である
  • ただし、就業規則が労働者に周知されていることが前提となる

朝5時に起きて判例集を読み返す日課の中で、この判例は何度も確認してきました。実務上のポイントは、支給日より「前」に退職日が来てしまうと、賞与請求権そのものが発生しない可能性があるということです。ここで慌てる人が多い。

ただし、厚生労働省の個別労働紛争解決制度のあっせん事例集(事例18)では、周知されていない就業規則を理由とする賞与の不支給は認められないとされています。就業規則を「見たことがない」「入社時に説明を受けていない」場合は、支給日在籍要件の適用自体を争う余地があります。

退職予定者への賞与減額はどこまで許されるのか——ベネッセ事件の基準

支給日に在籍していて賞与の支給対象になったとしても、退職予定であることを理由に大幅な減額がなされるケースがあります。

この論点について重要な判断を示したのが、ベネッセコーポレーション事件(東京地判平成8年6月28日・労判696号17頁)です。会社は退職予定者の冬季賞与を約82%減額しました。東京地裁の判断はこうです。

  • 退職予定者と非退職予定者の賞与額に差を設けること自体は、将来への期待の程度が異なるため不合理ではない
  • しかし、82%という減額割合は「減額が大きすぎる」として裁量権の逸脱と判断された
  • 結論として、退職予定者への賞与減額は概ね2割程度が限度という基準が示された

監督官時代に見たのは、この判例の存在を知らずに5割、6割の減額を受け入れてしまう労働者が少なくなかったことです。「退職するんだから仕方ない」と思い込んでいる。しかし、法的根拠を確認すれば、2割を超える減額には争う余地があるのです。

ボーナスを守る3つの確認ポイント

退職を考えている人が、賞与を不当に失わないために確認すべきポイントを3つに絞って整理します。

確認ポイント1:就業規則の賞与規程を退職意思表示の「前」に確認・保全する

就業規則に支給日在籍要件が書かれているかどうか。書かれている場合、退職日を支給日より後ろに設定できるかどうか。これが最初の分岐点です。

社労士として独立してから、退職前の証拠保全5項目チェックリストを相談者に渡しているのですが、その中でも「就業規則の賞与条項のコピーまたは写真撮影」は最も見落とされやすい項目です。退職を切り出した後では、就業規則の閲覧を制限される場合もある。必ず退職を伝える前に確認し、証拠を残しておくこと。

確認すべき具体的な項目は以下の通りです。

  • 支給日在籍要件の有無と文言
  • 賞与の算定対象期間
  • 退職予定者への減額規定の有無
  • 支給日の具体的な日付(「6月」ではなく「6月30日」等)

確認ポイント2:退職届の提出日と退職日を賞与支給日との関係で設計する

支給日在籍要件がある場合、退職日を「賞与支給日以降」に設定すれば、要件を満たしたうえで退職できます。

民法627条によれば、期間の定めのない雇用契約では、退職届の到達から2週間で雇用契約は終了します。たとえば7月15日がボーナス支給日なら、7月16日以降を退職日として退職届を提出すれば、支給日には在籍していることになります。

ここで注意すべきは、退職届と退職願の使い分けです。退職願は合意退職の「申込み」であり、会社が承諾するまで撤回できる反面、退職日を会社側に変更される余地がある。一方、退職届は一方的な辞職の意思表示であり、到達した時点で効力が発生します。賞与支給日との関係で退職日を確実にコントロールしたい場合は、退職届を使うのが原則です。

確認ポイント3:減額された場合の「2割基準」を知っておく

退職を伝えた後、予想以上に賞与が減額されていた場合。ベネッセ事件の基準に照らして、2割を大きく超える減額であれば、以下の手順で対応を検討できます。

  1. 賞与明細と就業規則の賞与規程を保全する——減額幅の算定根拠を確認する
  2. 会社に書面で減額の根拠を問い合わせる——口頭ではなく書面(メールでも可)で記録を残す
  3. 労働基準監督署の総合労働相談コーナーまたは社労士に相談する——行政指導の対象になります、就業規則上の根拠なく大幅減額を行っている場合は

ただし、率直に言えば、賞与減額を理由に訴訟まで進むケースはそれほど多くありません。金額的に訴訟コストに見合わないことが多いためです。だからこそ、減額される前の段階で退職タイミングを設計する方が現実的だと、相談業務の中では繰り返し伝えています。

「ボーナスをもらってから辞める」は非常識なのか

SNSでは「ボーナスもらい逃げ」といった言葉が使われることがあります。しかし、法的な観点から言えば、賞与の算定対象期間に在籍し、その期間の労務を提供した事実がある以上、その対価として賞与を受け取ることは正当な権利です。

非常識かどうかは個人の価値観の問題ですが、法的根拠は何条かと問われれば、答えは明確です。労働基準法第24条の賃金全額払いの原則は、就業規則で定められた賞与にも適用される。算定対象期間の労務提供に対する対価を受け取ることは、道義的にも問題ありません。

感情論を排して条文と判例で整理すれば、退職のタイミングは労働者が自由に決められるものであり、賞与支給日を考慮してスケジュールを組むことは合理的な判断にすぎません。

FAQ

Q. 退職届を出した後にボーナスを全額カットされた場合、取り返せますか?

就業規則に支給日在籍要件があり、退職日が支給日より前の場合は、全額不支給が有効となる可能性が高いです。一方、支給日に在籍していたにもかかわらず全額カットされた場合は、就業規則上の根拠がなければ賃金未払いに該当する可能性があります。まずは就業規則の賞与規程を確認してください。

Q. 支給日在籍要件が就業規則に書いてあるかどうか分かりません。どう確認すればいいですか?

労働基準法第106条により、使用者は就業規則を労働者に周知する義務があります。就業規則は社内イントラや人事部門で閲覧できるはずです。閲覧を拒否された場合、その事実自体が労基法違反となります。退職を切り出す前に確認し、該当箇所のコピーや写真を取っておくことを強く勧めます。

Q. ボーナスの減額幅に上限はありますか?

法律上の明確な上限規定はありませんが、ベネッセコーポレーション事件(東京地判平8.6.28)では、退職予定者に対する82%の減額が「裁量権の逸脱」として否定され、概ね2割程度が限度とする判断が示されています。就業規則に具体的な減額率が定められていない場合、この判例が実務上の目安となります。

Q. 有期雇用(契約社員)の場合も支給日在籍要件は適用されますか?

就業規則や雇用契約書に賞与の定めがあり、支給日在籍要件が記載されていれば適用されます。ただし、契約期間満了による退職の場合、会社都合の雇止めにもかかわらず支給日在籍要件を理由に不支給とすることは、信義則に反するとして争う余地があります。

Q. 退職代行を使って退職した場合、ボーナスの交渉はできますか?

民間の退職代行業者は「退職の意思表示の伝達」しかできず、賞与の減額交渉や未払い賞与の請求は弁護士法第72条に抵触する非弁行為となります。賞与に関する交渉が必要な場合は、弁護士または労働組合型の退職代行に依頼する必要があります。

参考文献