転職で年収が上がった——それ自体は良いことだ。だが、年収が上がったのに1年以内に再転職の相談に来る人が、毎月のように私のもとを訪れる。
マイナビの転職動向調査2026年版によると、2025年の転職率は7.6%と過去最高を更新し、転職経験者のうち年収が上がった人は62.2%に達した。数字だけ見れば成功だ。しかし市場のレートで言うと、年収の「額面」と「構造」はまったく別の話だ。
8年間で1000名以上を支援してきた中で、年収アップ転職で後悔する人には明確な構造がある。今回はその5つのパターンと、入社前に確認すべき3つのチェックポイントを整理する。
年収アップ転職で後悔する5つの構造的見落とし
1. 年収の内訳を確認していない——みなし残業代の罠
最も多いパターンがこれだ。「年収600万→720万」と聞いて飛びついたが、内訳を見ると基本給は480万円+固定残業代(月45時間分)が240万円だった——という相談が後を絶たない。
固定残業代が年収に含まれている場合、基本給ベースでは前職と変わらない、あるいは下がっていることすらある。基本給は賞与や退職金の算定基礎になるため、長期で見ると数百万円の差になる。
確認すべきは「年収の総額」ではなく、基本給・固定残業代・賞与の比率だ。固定残業代が年収の30%を超えている場合は、実質的な時給を必ず計算してほしい。
2. 時給換算を怠っている——残業込み年収の真実
年収700万円で月残業20時間の会社と、年収800万円で月残業50時間の会社。額面では100万円の差だが、時給換算すると前者が約3,500円、後者が約3,100円になる。年収が上がったのに、1時間あたりの対価は下がっている。
私が支援した32歳のエンジニアは、年収700万のSIerから年収580万のSaaS企業に転職した。額面だけ見れば120万のダウンだ。しかし時給換算・総報酬比較・3年後の市場価値という3軸で判断フレームワークを提示したところ、彼は構造を理解して転職を決めた。結果、3年後に年収950万で複数オファーを受けた。初期の120万ダウンは成長市場への投資として回収された。
逆に、額面の年収アップだけを見て転職した人が時給換算で損をしているケースは非常に多い。
3. 高年収の「裏の理由」を見ていない
市場相場より明らかに高い年収が提示される場合、そこには理由がある。離職率が高い・業務負荷が異常・組織が崩壊寸前——高年収は人材を引き留めるための「割増金」であることがある。
求人票に「年収レンジ500万〜1200万」と極端に幅がある場合は要注意だ。上限に近い提示を受けたなら、なぜその金額を出せるのかを面接で必ず確認すべきだ。退職者の転職先を調べれば、その会社から人が流出しているかどうかは見える。
4. 社内等級の天井に張り付いている
年収が上がった理由が「等級の上限ギリギリで入社した」場合、入社後の昇給余地はほぼゼロになる。年収800万で入社したが、その等級の上限が830万——つまり3年いても30万しか上がらない構造だ。
中途入社者は等級制度の全体像を知らないまま入社することが多い。面接や内定後の条件面談で「今回の提示は等級のどのあたりか」「次の等級に上がる条件は何か」を聞くだけで、入社後の昇給カーブはかなり正確に予測できる。
5. 福利厚生の金銭換算を無視している
前職に住宅手当月3万円・家族手当月2万円・退職金制度(年50万円相当)があった場合、これだけで年間110万円だ。年収が100万円上がっても、福利厚生を含めた総報酬では実質マイナスになる。
エージェント側の事情を明かすと、エージェントの報酬は決定年収の30〜35%だ。つまり年収が高いほどエージェントの取り分も増える。福利厚生まで含めた総報酬比較を積極的に勧めるインセンティブが構造的に弱い——これは利益相反の一つだ。だからこそ、候補者自身が福利厚生を金銭換算する必要がある。
入社前に確認すべき3つのチェックポイント
チェック1:総報酬シートを作成する
以下の項目を前職と転職先で並べて比較する。
- 基本給(固定残業代を除いた金額)
- 賞与(過去3年の平均支給月数)
- 固定残業代(含まれる場合は時間数と金額)
- 住宅手当・家族手当・通勤手当
- 退職金(年換算額)
- 持株会・確定拠出年金のマッチング
- 時給換算(年収÷年間総労働時間)
この比較を「総報酬」で行うと、額面で100万円アップの転職が実質マイナスだったケースは珍しくない。
チェック2:3年後の昇給シミュレーション
入社時の年収だけでなく、3年後にどこまで上がるかを確認する。具体的には以下を聞く。
- 今回の等級と、等級内の上限年収
- 次の等級への昇格条件と平均所要年数
- 昇給率の過去3年の実績
入社時の年収は一瞬のスナップショットに過ぎない。3年後の年収カーブで比較することで、「初年度は下がるが3年後に逆転する」パターンも見えてくる。
チェック3:退職者の転職先を調べる
その会社を辞めた人がどこに行っているかは、会社の実態を映す鏡だ。LinkedInや転職サイトのレビュー、可能であれば面接時に「御社を退職された方はどのような会社に移られることが多いですか」と聞いてみるのも有効だ。
退職者が同業界の上位企業に移っているなら、その会社はキャリアのステップとして機能している。逆に異業界や年収ダウンの転職が多いなら、何かしらの問題がある可能性が高い。
まとめ:年収は「構造」で見る
年収アップ転職で後悔する人の多くは、額面だけで判断し構造を見ていない。朝6時に新聞を開いて市場分析をする日々の中で、私が一貫して候補者に伝えているのは「年収は額面ではなく構造で判断する」という一点だ。
額面の年収アップに飛びつく前に、総報酬シート・昇給シミュレーション・退職者調査の3つを実行してほしい。この3つに30分かけるだけで、入社後の後悔は構造的に防げる。
よくある質問(FAQ)
Q1. 年収の内訳は内定後に聞いても失礼になりませんか?
まったく失礼ではない。内定後の条件面談は、まさにそのための場だ。基本給・固定残業代・賞与の比率を確認するのは候補者の正当な権利であり、企業側も質問されることを想定している。むしろ聞かない方が、入社後のミスマッチリスクが高まる。
Q2. エージェントに総報酬の比較を依頼できますか?
依頼できる。ただし、エージェントの報酬構造上、額面年収を上げる方向にインセンティブが働く点は理解しておくべきだ。「福利厚生を含めた総報酬で比較したい」と明確に伝え、自分でも計算することを推奨する。
Q3. 固定残業代が含まれている求人は避けるべきですか?
一概には言えない。固定残業代は残業の有無にかかわらず支給されるため、実際の残業が少ない会社であれば有利に働く。重要なのは固定残業の時間数と、実際の平均残業時間のギャップを確認することだ。固定残業45時間で実残業10時間なら、実質的な上乗せと見なせる。
Q4. 年収ダウンの転職でも総報酬で得になるケースはありますか?
ある。住宅手当・退職金・企業型DC・持株会などの福利厚生が手厚い企業では、額面が50〜100万円下がっても総報酬では上回ることがある。特に退職金制度の有無は長期で数百万円の差になるため、必ず確認すべきだ。
Q5. 入社後に「聞いていた条件と違う」場合はどうすべきですか?
まず労働条件通知書と実態を照合する。明確な相違があれば、入社後でも人事に確認・交渉する権利がある。ただし、口頭で聞いた条件は証拠にならないため、内定時に労働条件通知書を書面で受け取ることが最大の防御策だ。
参考文献
- マイナビ「転職動向調査2026年版(2025年実績)」 — 2025年の転職率7.6%(過去最高)、年収変動データ
- Job総研「2025年 転職と年収に関する実態調査」 — 転職経験者の62.2%が年収アップ
- KOTORA JOURNAL「年収と残業代の真実:知らないと損する給与の内訳とは?」 — 固定残業代と基本給の関係
- 労働政策研究・研修機構「福利厚生に関する労働者調査」(調査シリーズNo.263) — 福利厚生の実態データ




