社労士として独立して3年目、夏のボーナス支給前後の相談で最も多いパターンがある。「退職を伝えたら、賞与が大幅に減額された」という相談だ。
毎朝5時に起きて判例と行政通達をチェックするのが日課だが、この時期は賞与関連の判例を重点的に読み返す。相談者の大半が「退職するんだから仕方ない」と思い込んでいる。違う。賞与には法的な保護がある。
結論から言う。退職予定者への賞与の大幅減額は、就業規則に定めがあっても、概ね2割を超える減額は違法と判断される可能性が高い。根拠はベネッセコーポレーション事件(東京地判平8.6.28)だ。
賞与の法的性質を正確に理解する
賞与は法律上、支給義務のある賃金ではない。労働基準法第11条は賃金を「労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのもの」と定義しているが、賞与は就業規則や労働契約で定めがなければ請求権が発生しない。
ただし、就業規則に「賞与を支給する」と明記されていれば話は別だ。その瞬間、賞与は労働契約の一部になる。労働基準法第89条第4号は「臨時の賃金等」について就業規則への記載を義務付けており、賞与規程がある会社では、支給基準に従った賞与請求権が労働者に発生する。
監督官時代に見たのは、賞与規程の存在すら知らない労働者が圧倒的に多い現実だった。就業規則の賞与規程を退職意思表示の前に確認・保全しておくことが、すべての出発点になる。
退職予定者の賞与減額はどこまで許されるか
ベネッセコーポレーション事件(東京地判平成8年6月28日)が、この論点の最重要判例だ。
事案はこうだ。ベネッセは賞与支給にあたり、退職予定者と非退職予定者で異なる計算方式を適用していた。退職予定者への冬季賞与を約82%減額して支給したところ、退職した従業員が減額分の支払いを求めて提訴した。
東京地裁の判断は明快だった。退職予定の有無によって賞与額に差を設けること自体は不合理ではない。賞与には過去の勤務への対価だけでなく、将来の勤務への期待・奨励という性質も含まれるからだ。しかし、82%もの減額は使用者の裁量を逸脱している。過去の勤務に対する対価部分まで奪うことは許されない。裁判所が認めた減額の限度は、概ね2割だった。
社労士事務所に来る相談者に、この判例の話をすると表情が変わる。「8割カットされて当然だと思っていた」という人が大半だ。労働基準法第24条の賃金全額払いの原則も、就業規則上の賞与には及ぶ。根拠なき大幅減額は、この原則にも抵触する。
支給日在籍要件の仕組みと退職日の設計
賞与減額と並んでもう一つ、退職予定者が見落とす致命的な論点がある。支給日在籍要件だ。
大和銀行事件(最判昭和57年10月7日)で最高裁は、「賞与支給日に在籍している者に対して支給する」という就業規則の定めは合理的であり有効と判示した。つまり、賞与の算定対象期間を満了していても、支給日の前に退職していれば、賞与の請求権自体が発生しない。
具体例を出す。算定期間が10月1日から3月31日、賞与支給日が6月15日の会社で、6月10日に退職した場合。算定期間はフルに勤務しているにもかかわらず、支給日在籍要件を満たさないため賞与はゼロになる。これが判例上、合法とされている。
退職日の設計とは、この支給日在籍要件を理解した上で、退職届に記載する退職日を賞与支給日より後に設定することだ。有給休暇の残日数を逆算して、賞与支給日には在籍した状態を保ちつつ、その後に有給消化期間を設けて退職日を迎える。労働基準法第39条によると、退職時の有給休暇に対して会社は時季変更権をほぼ行使できない。変更先の労働日が存在しないからだ。
賞与を守るための3ステップ防御策
社労士事務所での相談パターンを踏まえて、賞与を不当に減額されないための手順を3つに整理した。
ステップ1:就業規則の賞与規程を退職意思表示の前に確認・保全する
賞与の算定基準、支給日、支給日在籍要件の有無、退職予定者への減額規定の有無。この4点を確認する。就業規則は労働基準法第106条により周知義務があるが、退職を伝えた後に閲覧制限をかける会社もある。退職を切り出す前にスマートフォンで撮影するか、PDFで保存しておく。
ステップ2:退職届の提出日と退職日を賞与支給日との関係で設計する
退職届の提出は、可能であれば賞与支給日の後にする。先に転職先が決まっていて支給日まで待てない場合は、退職日を賞与支給日より後に設定する。支給日在籍要件を満たすだけで、賞与請求権の有無が変わる。有給残日数を確認し、支給日以降を有給消化期間に充てる設計が有効だ。
ステップ3:2割を超える減額には書面で根拠を問い合わせる
退職予定を理由に賞与を減額された場合、減額幅が2割以内であれば、ベネッセ事件の基準上は適法と判断される可能性が高い。問題は2割を超える大幅減額だ。その場合、減額の法的根拠と計算根拠を書面で会社に問い合わせる。口頭ではなく書面にするのは、証拠保全のためだ。会社が合理的な根拠を示せない場合、差額分の支払いを求めて総合労働相談コーナーへの相談、労働審判、訴訟という段階的な対応が可能になる。
以前、夏のボーナス時期に「退職を伝えたら賞与を半額にされた」という相談者が来た。就業規則の賞与規程を確認したところ、退職予定者への減額規定は一切なかった。規定がないのに裁量で半額にすること自体が就業規則違反だ。書面で根拠を問い合わせたところ、会社側は減額を撤回し、満額に近い賞与が支給された。法的根拠を示すだけで結果が変わる典型例だった。
FAQ
賞与の支給日在籍要件は就業規則に書いていなくても適用されますか?
就業規則や労働協約に支給日在籍要件の定めがなければ、原則として適用されません。算定対象期間を勤務していれば、支給日前に退職しても賞与請求権が認められる可能性があります。まず就業規則の賞与規程を確認してください。
退職予定者への賞与減額が2割以内なら必ず適法ですか?
2割はベネッセ事件(東京地判平8.6.28)が示した目安であり、絶対的な基準ではありません。ただし、2割以内の減額であれば違法と判断されるリスクは低いとされています。就業規則に減額の定めがあることが前提です。
賞与を減額された場合、どこに相談すればよいですか?
まず最寄りの総合労働相談コーナー(各都道府県労働局・労働基準監督署内に設置)に相談してください。無料で、予約不要です。減額の根拠や就業規則の解釈について助言を受けられます。交渉が必要な場合は、社労士や弁護士への依頼を検討してください。
退職届を出した後に賞与支給日を変更されることはありますか?
支給日の変更自体は就業規則の変更手続き(労働基準法第90条)が必要であり、個別の退職者を狙い撃ちにした変更は合理性を欠くと判断される可能性が高いです。万が一変更された場合は、変更前の支給日を基準に請求する余地があります。
参考文献
- ベネッセコーポレーション事件(東京地判平8.6.28)年内退職者への冬季賞与を8割カット — 労働新聞社 労働判例
- 判例紹介 賞与の支給日在籍要件について(大和銀行事件 最判昭57.10.7) — 弁護士法人栄光 栄光綜合法律事務所
- 周知されていない就業規則を理由とする賞与の不支給(あっせん事例) — 厚生労働省 中央労働委員会
- 退職予定者の「賞与を減額」してもよい? — 人事のミカタ(エン・ジャパン)






