社労士事務所に「退職代行を使ったのに会社が対応してくれない」という相談が持ち込まれるようになったのは、2026年2月のモームリ事件以降のことだ。依頼者は数万円を払い、退職代行業者に会社への連絡を依頼した。ところが会社側は「弁護士または本人とのみ対応する」と伝え、以後の連絡を一切無視した。業者からは「連絡はした」という報告を受けたが、退職手続きは何一つ進まなかった。

この状況は珍しい例外ではない。退職代行には「弁護士型」「労働組合型」「民間型」の3種類が存在するが、それぞれができること・できないことは法律によって明確に区別されている。この違いを知らずに業者を選ぶと、お金を払っても退職が進まないという事態に陥る。監督官時代に見たのは、会社側の担当者が「法的根拠のない相手とは交渉しない」という判断を徹底するケースだった。これは違法ではなく、法的に正しい対応だ。

本記事では、3タイプの機能差を法的根拠とともに整理し、交渉事項の有無によって何を選ぶべきかを解説する。

モームリ事件後に変わった退職代行業界の現実

2026年2月3日、退職代行「モームリ」を運営するアルバトロス株式会社の社長が弁護士法第72条違反(非弁提携)の疑いで逮捕された。問題の核心は、弁護士資格のない民間業者が特定の弁護士と金銭的に提携することで、実質的に法律業務を取り扱っていたという点にある。弁護士法第72条は、弁護士でない者が報酬を得る目的で法律事件を取り扱うことを禁じており、今回の逮捕はその違法行為への明確な制裁だった。

この事件を受けて企業側の対応が変化した。東京商工リサーチの調査によれば、退職代行からの連絡を受けた企業の約3割が、民間業者からの交渉要求に「弁護士または本人とのみ対応する」として応じなくなった。2026年6月には、非弁提携に関与した弁護士側にも有罪判決が出ており、業界全体の法的整理が進んでいる。

「退職代行を使えば今すぐ解決できる」という認識は、モームリ事件後には通用しなくなった。特に民間型を選んだ場合、会社が対応を拒否した時点で退職手続きは止まる。その後どうするかを知らないまま依頼することが、二重のコストと時間のロスを生んでいる。

弁護士型・労組型・民間型——3タイプの機能差

退職代行の3タイプは、法的根拠の有無によって「できること」が根本的に異なる。

① 弁護士型——唯一の「法的代理人」として全交渉が可能

項目 内容
法的根拠 弁護士法第3条(法律業務の包括代理)
費用相場 5〜10万円(未払い賃金回収は成功報酬型も)
できること 全交渉・未払い賃金請求・損害賠償防衛・退職条件の交渉・労働審判申立て
企業の対応拒否 不可(弁護士は依頼者の法的代理人として完全な権限を持つ)

弁護士型は依頼者の代理人として法律上完全な権限を持つ。未払い残業代の請求、有給消化の交渉、損害賠償の防衛、退職日・退職条件の交渉——すべての法的行為が可能だ。企業が弁護士への対応を拒否することは法的に認められない。費用は最も高いが、機能範囲は最も広い。

② 労働組合型——団体交渉権は憲法で保障されている

項目 内容
法的根拠 憲法第28条・労働組合法第1条・第7条第2号
費用相場 3〜5万円
できること 退職意思表示・有給消化・退職日の交渉(団体交渉の範囲内)
企業の対応拒否 不可(正当な理由のない団体交渉拒否は不当労働行為)

適法に設立された労働組合が行う団体交渉は、憲法第28条と労働組合法で保障されている。労働組合法第7条第2号により、使用者が正当な理由なく団体交渉を拒否することは不当労働行為にあたり、行政指導の対象になります。この点が民間型との決定的な違いだ。

ただし「適法に設立された労働組合」であることが前提となる。退職代行業者が形式的に「労組運営」を名乗っていても、都道府県労働委員会への届出要件を満たしていない場合には団体交渉権は認められない。選ぶ前に資格確認が必須だ。

③ 民間型——退職意思の「伝達」のみ、交渉は不可

項目 内容
法的根拠 なし(代理人として交渉する法的権限なし)
費用相場 2〜5万円
できること 退職の意思を会社に伝えること(伝言行為のみ)
企業の対応拒否 可(交渉要求は拒否可。退職意思の伝達自体を否定はできない)

民間型の退職代行ができることは、「あなたの代わりに会社に連絡して退職の意思を伝えること」だけだ。法律的には「使者」として退職意思を伝達しているに過ぎず、弁護士法第72条の制限から、交渉・請求・条件変更の依頼はできない。会社は民間型からの交渉要求を拒否することが法的に認められている。

モームリ事件以降、「弁護士と提携しているから安心」と謳っていた民間業者の問題が表面化し、企業側が「民間業者への対応は行わない」と明確化するケースが増加している。

交渉事項の有無で選び方は決まる

退職代行を使う目的に応じて、3タイプのどれを選ぶべきかは明確に変わる。

パターン①:ただ「辞める意思を伝えたい」だけの場合

有給残日数が14日以上ある、退職日は2週間後でよい、未払い賃金はない、引き継ぎは自分でできる——このような状況で「直接上司に言えない」という人には、民間型でも機能する可能性はある。ただしモームリ事件後は会社の約3割が民間業者の連絡を無視する。会社が対応しなかった場合は、結局自分で内容証明郵便を送ることになる。費用対効果を考えれば、最初から内容証明郵便で送る方が確実で安価だ(費用3,000円程度)。

パターン②:有給消化・退職日の交渉がしたい場合

「退職日を来月末にしたいが会社が認めないかもしれない」「有給を全部消化してから辞めたい」という場合は、労働組合型を選ぶべきだ。団体交渉権に基づき有給消化・退職日・引き継ぎ期間などの条件を交渉できる。会社はこの交渉を正当な理由なく拒否できない。費用も弁護士型と比べて安く、条件交渉が主目的の場合に最も費用対効果が高い。

パターン③:未払い賃金・残業代の回収や損害賠償防衛が必要な場合

残業代の未払いが疑われる、会社から「損害賠償を請求する」と脅されている、退職後に法的トラブルに発展しそうだ——このような場合は弁護士型一択だ。労働基準法第24条によると、賃金は全額・毎月・一定期日に支払わなければならない。未払いがある場合、弁護士が代理人として交渉・請求・労働審判の申立てまで対応できる。退職手続きと未払い賃金回収を同時に解決できる唯一の手段だ。

退職代行を選ぶ前に確認すべき3つのポイント

① 有給残日数から退職日を逆算設計する

退職日を先に決めてから代行業者に依頼すると、有給消化の余地が潰れることがある。先に有給残日数を給与明細・勤怠システムで確認し、退職日を逆算設計してから依頼することで、退職代行の機能を最大限に活かせる。有給残日数が14日以上あれば、内容証明郵便と有給取得届を同時に送付することで翌日から職場に行かない退職も法的に成立する。

② 交渉事項を事前にリストアップする

退職時に発生しうる交渉事項(有給消化・退職日・賞与・未払い残業代・競業避止義務誓約書・損害賠償)を事前に洗い出す。交渉事項が一つでもあれば民間型は機能しない。この確認を怠ることが、費用を無駄にする最大の原因だ。

③ 労組型は「適法な労働組合」かを書面で確認する

退職代行業者が「労働組合運営」を名乗っていても、都道府県労働委員会への届出があるかを確認する必要がある。届出がなければ団体交渉権は認められない。申し込み前に「労働組合法の要件を満たした適法な組合か」を業者に書面で問い合わせることを強く推奨する。

退職代行が機能しなかったときの対処法

退職代行を使っても会社が対応しない場合、最も確実な手段は自分で内容証明郵便を送ることだ。民法第627条第1項の到達主義により、退職届が代表取締役に到達した日から2週間で雇用契約は自動的に終了する。宛先を「代表取締役」にすることで、人事権者への到達を争われるリスクも排除できる。

退職代行に数万円を払った後で「会社が無視した」という二次相談が来るたびに思うことがある。退職代行に依頼する前に、自分で内容証明郵便を送ることの意味を理解していれば、多くのケースで退職代行そのものが不要だった。書き方は「令和○年○月○日付をもって退職いたします」の1文で十分だ。法的根拠は労働者の最大の武器であり、その使い方を知っているかどうかで結果は大きく変わる。


よくある質問

Q1. 退職代行を使ったら、会社から損害賠償を請求されることはある?

退職代行を使ったという理由だけで損害賠償が認められた判例はほぼ存在しない。労働基準法第16条は「労働契約の不履行についての違約金・損害賠償を予定する契約」を禁止している。会社が損害賠償を主張するためには、①具体的損害の発生、②退職との因果関係、③故意または重過失の3要件を証明する必要があり、退職代行を使ったという事実だけでは成立しない。

Q2. 退職代行を使っても、退職日まで給与は支払われる?

退職代行を使っても在籍期間中の賃金支払い義務は変わらない。労働基準法第24条の全額払いの原則から、会社は退職代行を使ったことを理由に賃金を控除することはできない。退職代行業者が「給与が支払われないリスクがある」と煽るのは根拠がない。

Q3. モームリ事件後、退職代行サービス自体が違法になったのか?

退職代行サービス自体が違法になったわけではない。問題になったのは弁護士法第72条に違反する「非弁提携」だ。弁護士資格のない業者が特定の弁護士と金銭的に提携して法律業務を行う行為が違法であり、適法な退職代行(退職意思の伝達・労組の団体交渉・弁護士の代理)は合法だ。サービスの適法性は運営形態によって異なる。

Q4. 「退職代行で有給を全部消化できる」という広告は本当か?

労働組合型か弁護士型であれば有給消化の交渉は可能だ。退職時に使用者が行使できる時季変更権は「変更先の労働日がない」ために機能しない(これは確立した解釈だ)。ただし民間型は有給消化の交渉ができない。「退職代行で有給全消化」と謳うサービスが民間型であれば、その約束には法的根拠がない点に注意が必要だ。

Q5. 退職代行を使わずに自分で辞める最短の方法は?

代表取締役宛に内容証明郵便(配達証明付き)で退職届を送ることが最も確実だ。到達した日を起点に2週間で雇用契約は終了する(民法第627条第1項)。有給残日数が14日以上あれば、退職届と有給取得届を同時に送付することで翌日から職場に行かない形での退職も法的に成立する。費用は3,000円程度だ。


参考文献・根拠法令

  • 弁護士法第72条(非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
  • 憲法第28条・労働組合法第1条・第7条第2号(団体交渉権・不当労働行為)
  • 民法第627条第1項(期間の定めのない雇用契約の解約申入れ)
  • 労働基準法第16条(賠償予定の禁止)・第24条(賃金の全額払いの原則)
  • 東京商工リサーチ「退職代行からの連絡、企業の3割取り合わず」(2026年)
  • アディーレ法律事務所「退職代行モームリの社長逮捕を受けた救済措置について」(2026年2月)
  • 最高裁判所「下関商業高校事件」(最一小判昭55.7.10)——退職強要の判断基準