「異動希望を毎年出しているのに、一度も通ったことがない」——こう語る方は、退職面談でも採用面接でも、驚くほど多くいます。

上場企業の人事部で20年、評価会議を運営してきた筆者は、異動希望を処理する側の人間でした。年に2回の自己申告シートを集め、評価会議で配置を議論し、異動の発令を出す。その過程で見てきたのは、希望が通る人と通らない人の間にある、構造的な違いです。

日本経済新聞の2025年サステナブル経営調査によれば、社内公募・FA制度を導入している企業は64.7%に達し、前年から約2ポイント増加しています。制度は整いつつある。にもかかわらず、異動希望が通らないと感じている人が後を絶たないのはなぜか。

採用側の論理で言うと、問題は「希望を出す」という行為そのものにあるのではなく、希望の伝え方が評価会議の構造に合っていないことにあります。この記事では、異動が通る人と通らない人の決定的な違いを3つの構造に分解して解説します。

異動希望はどこで処理されているのか——評価会議の内部構造

まず、異動希望が組織内でどう扱われているかを知る必要があります。多くの社員は「上司が異動を止めている」と考えますが、実態はもう少し複雑です。

一般的な上場企業では、異動の意思決定は以下の3段階で処理されます。

  1. 自己申告シートの回収——人事部が年1〜2回、全社員から異動希望を含む自己申告シートを回収する
  2. 部門長ヒアリング——人事部が各部門長と面談し、「出せる人」と「欲しい人」を突き合わせる
  3. 評価会議での配置決定——経営層・人事部・部門長が参加する会議で、事業計画に基づいて配置を決定する

人事部の評価会議では、この3段階のどこかで異動希望が消えます。そして、消える理由のほとんどは「能力不足」ではありません。

構造1:異動希望が「不満の表明」として読まれている

異動が通らない人の第一の特徴は、異動希望の書き方が「今の部署が嫌だ」という不満の表明として読まれてしまっていることです。

自己申告シートに「営業部への異動を希望します」とだけ書く人は少なくありません。しかし、人事部がこのシートを読むとき、最初に確認するのは「なぜ今の部署を出たいのか」ではなく、「なぜその部署に行きたいのか」です。

「行きたい理由」が書かれていない異動希望は、評価会議では「現部署への不満」として処理されます。不満による異動希望は、組織にとってリスクです。異動先でも同じ不満を抱える可能性が高いと判断されるからです。

退職面談で本当に言われるのは、「異動希望を3年出し続けたけど何も変わらなかった。だから辞めます」という言葉です。しかし人事側から見ると、その3年間の自己申告シートには「異動希望:あり」の一言しか書かれておらず、評価会議で議論の俎上に載せる材料がなかったケースが大半です。

通る人はどう書いているか

異動が通る人の自己申告シートには、3つの要素が揃っています。

  • 異動先の事業課題に対する仮説——「営業部の新規開拓率が課題だと認識しています」
  • 自分の経験との接続——「現部署でのマーケティング分析経験が、ターゲット選定に活かせると考えます」
  • 異動後3ヶ月のイメージ——「最初の3ヶ月で既存顧客データの分析から着手し、新規ターゲットリストを作成したい」

これは転職面接の志望動機と構造的に同じです。「逃げたい理由」ではなく「取りに行くもの」を言語化できているかどうかが、評価会議で議論されるかどうかの分岐点になります。

構造2:現部署の上司が「手放せない」と言い、人事が動けない

異動が通らない2つ目の構造は、現部署の上司が送り出しを拒否していることです。

評価会議の部門長ヒアリングでは、人事部が「この人は異動希望を出していますが、送り出せますか?」と確認します。このとき、現部署の上司が「今は手放せない」と言えば、人事部はその判断を尊重せざるを得ません。

ここに構造的な矛盾があります。優秀な人ほど上司が手放したがらず、異動が通りにくいのです。一方で、パフォーマンスが低い人の異動希望は「出してもいい」と判断されやすい。結果として、異動制度が本来救うべき「成長機会を求めている優秀な人材」が制度の恩恵を受けられないという逆説が生まれます。

リクルートマネジメントソリューションズの社内公募制度導入125社の調査では、制度活用のポイントとして「上司の拒否権のなさ」が挙げられています。つまり、上司が止められない仕組みを作らない限り、異動希望は構造的に通りにくいということです。

通る人はどう動いているか

上司に止められる構造を理解した上で、異動が通る人は2つのことを実践しています。

1つ目は、「後任を育てている」事実を作ること。自分が抜けても業務が回る状態を証明できれば、上司の「手放せない」という論理が成立しなくなります。引き継ぎマニュアルの作成、後輩への権限委譲、業務の標準化——これらを異動希望を出す前から着手している人は、評価会議での通過率が明らかに高い。

2つ目は、上司に事前に伝えること。自己申告シートで初めて異動希望を知った上司は、評価会議で「聞いていない」と反応します。この反応は、人事部から見ると「部下とのコミュニケーションが取れていない上司」ではなく「唐突に異動を言い出す部下」として処理されることが多い。事前に「キャリアについて相談したい」と切り出し、異動希望の背景を共有しておくことで、上司が評価会議で送り出しに同意しやすくなります。

構造3:自己申告シートが「提出して終わり」になっている

3つ目の構造は、異動希望を出した後のフォローアップがゼロであることです。

カオナビHRテクノロジー総研の2026年調査(異動・配置制度の実態調査)では、異動希望を聴取する制度(自己申告など)を導入している企業が多数ある一方、その希望がどう処理されたかを本人にフィードバックする仕組みは、ほとんどの企業で設計されていません。

つまり、異動希望は「提出→ブラックボックス→結果だけ通知」という一方通行の構造になっている。この構造の中で、通る人と通らない人の差を生んでいるのは、提出後の能動的な行動です。

通る人がやっていること

異動が通る人は、自己申告シートを提出した後に以下の3つを実践しています。

  1. 異動先の部門長との接点を作る——社内プロジェクト、勉強会、業務上の協力関係を通じて、異動先の部門長に「顔と実績」を知ってもらう
  2. 人事部との定期的な接点を持つ——キャリア面談の機会があれば積極的に活用し、異動希望の背景と進捗を伝える
  3. 現部署での成果を「異動先でも活かせる形」で記録する——評価会議で異動先の部門長が「この人なら受け入れたい」と言えるよう、成果を事業貢献の数字で語れるようにしておく

朝6時に起きてヨガで頭を整理する時間を取っている筆者にとって、キャリアの意思決定も同じです。静かに自分の状況を整理し、必要な行動を設計する。異動希望も「出して待つ」ではなく「出した後に動く」ものです。

異動希望が通らなかったとき、辞める前に確認すべきこと

doda転職理由ランキング2025年版では、転職理由1位が「給与が低い・昇給が見込めない」(36.6%)ですが、3位に「個人の成果で評価されない」がランクインしています。異動希望が通らないことは、「自分の希望が組織に無視されている」という評価への不信に直結し、退職の引き金になります。

しかし、退職面談1000件のデータから言えるのは、異動希望が通らなかったことを理由に辞めた人の大半が、上記3つの構造的な対策を一つも試していなかったということです。

マイナビ転職動向調査2026年版では転職率が7.6%と過去最高を記録しています。転職のハードルは下がっている。しかし、異動という選択肢を使い切らないまま転職すると、次の職場でも「希望が通らない」という同じパターンを再現するリスクがあります。

自己点検3ステップ:異動希望を通すために

ステップ1:自己申告シートを「志望動機」として書き直す

今の自己申告シートを読み返してください。「異動希望:あり」「希望部署:〇〇部」だけで終わっていないでしょうか。異動先の事業課題に対する仮説、自分の経験との接続、異動後3ヶ月のイメージ——この3要素を書き加えるだけで、評価会議での扱われ方が変わります。

ステップ2:上司に「キャリアの相談」として事前に伝える

自己申告シートで初めて知らせるのではなく、1on1や面談の場で「中長期的なキャリアについて相談したい」と切り出してください。異動希望の背景を共有することで、上司が評価会議で「本人と話した上での希望です」と報告できる状態を作ります。

ステップ3:異動先の部門長に「実績」を知ってもらう

社内公募がある企業なら応募してください。ない企業でも、異動先の部門と接点を持つ方法はあります。社内プロジェクトへの参加、部門横断の勉強会、業務上の協力依頼——「この人と一緒に働きたい」と思ってもらえる接点を1つ作ることが、評価会議での推薦材料になります。

FAQ

Q1. 異動希望を出すと「今の部署に不満がある」と思われませんか?

A. 異動希望の書き方次第です。「今の部署が嫌だから」ではなく「次に取りに行きたいものがある」という構造で書けば、評価会議ではキャリア意識の高い社員として扱われます。不満ではなく成長意欲として伝えることがポイントです。

Q2. 異動希望を何年出し続けても通らない場合、転職すべきですか?

A. 3つの構造的対策(志望動機型の書き方・上司への事前共有・異動先との接点作り)をすべて試した上で通らないなら、組織の構造的制約である可能性が高いです。その場合は転職を検討する合理的な判断と言えます。ただし、対策を一つも試さずに辞めると、次の職場でも同じパターンを繰り返すリスクがあります。

Q3. 社内公募制度がない会社では、異動希望はどう伝えるべきですか?

A. 自己申告制度がある場合はそれを活用し、ない場合は人事部との面談やキャリア相談の場を自分から作ってください。制度がなくても「キャリアについて相談したい」と人事部に直接連絡することは可能です。重要なのは、希望を正式な形で記録に残すことです。

Q4. 異動先の上司に直接「異動したい」と伝えるのはNGですか?

A. 直接的な異動交渉は避けたほうが無難です。ただし、業務上の接点を通じて自分の実績や関心を知ってもらうことは問題ありません。評価会議で異動先の部門長が「あの人なら受け入れたい」と発言することが、最も効果的な推薦になります。

Q5. 異動希望を出したことが原因で、現部署での評価が下がることはありますか?

A. 人事部の評価会議では、異動希望を出した事実だけで評価を下げることはありません。ただし、異動希望を出した後に現部署での業務姿勢が明らかに低下した場合は、「静かな退職」と見なされるリスクがあります。異動希望を出した後こそ、現部署での成果を出し続けることが重要です。

参考文献

  • 日本経済新聞「社内公募制度が浸透、東京海上は対象を地方に拡大 日経調査」(2025年)——社内公募・FA制度導入企業が64.7%に達したことを報告
  • カオナビHRテクノロジー総研「定期異動や社内公募制度はどこまで普及している?異動・配置制度の実態調査①」(2026年2月公開)——異動希望聴取制度の実施状況を調査
  • リクルートマネジメントソリューションズ「社内公募制度導入125社の運用実態と制度活用のポイント」——上司の拒否権のなさが制度活用のポイントであることを報告
  • doda「転職理由ランキング2025年版」(パーソルキャリア)——転職理由1位「給与が低い」36.6%、3位「個人の成果で評価されない」
  • マイナビ「転職動向調査2026年版」——転職率7.6%で過去最高を記録