「住宅ローンがあるから、今は動けない」

退職面談で、この言葉を何度聞いたか分からない。30代後半から40代の社員が転職を相談してくるとき、最初に出てくるのは「やりたいこと」でも「不満」でもない。住宅ローン、家族、年齢——この3つの「制約」だ。

私は上場企業の人事部で20年、退職面談を1000件以上担当してきた。その中で気づいたことがある。制約を理由に動けない人と、同じ制約を抱えながら動く人の違いは、制約の重さではなく、制約の"使い方"にあるということだ。

「制約で動けない」人の実態——データが示す心理と行動のズレ

まず、数字を見てほしい。

Job総研の2025年調査によると、「職場を辞めようと思っても辞められなかった経験がある」と答えた社会人は54.9%。辞められなかった理由の1位は「転職先が見つかるか不安」(76.9%)、2位は「一時的に収入が減る不安」(38.6%)だった。

さらに、エン・ジャパンが2026年に発表したミドル世代(35歳以上)の調査では、家族から転職を反対された人のうち、44%が「転職をとりやめた」と回答している。一方で、37%は「家族を説得して転職した」、19%は「一度はとどまったが、その後改めて転職した」と答えている。

つまり、同じ「家族の反対」という制約を受けても、半数以上は最終的に動いている。制約そのものが行動を止めているのではない。制約に対する"解釈"が行動を止めているのだ。

盲点①:「住宅ローン=転職不可」という等式は存在しない

退職面談で「住宅ローンがあるので……」と言う人に、私はいつもこう聞く。

「ローンの残額と月々の返済額、今すぐ言えますか?」

驚くほど多くの人が、正確な数字を把握していない。「ローンがある」という事実が、「だから動けない」という結論に直結してしまっている。間に数字の検証がない。

採用側の論理で言うと、住宅ローンの有無は採用判断にまったく影響しない。面接官が見ているのは「この人は何を取りに行こうとしているのか」であって、「この人はローンがあるから安定志向だろう」とは考えない。むしろ、ローンを理由に"逃げられない"ことを匂わせる候補者のほうが、覚悟のなさとして減点される。

実際に必要なのは、以下の3つの数字だ。

  • 月々の返済額と手取りに占める割合
  • 転職後の想定年収(最低ラインと現実ライン)
  • 生活防衛資金(返済を含む固定費の6ヶ月分)

この3つを出すだけで、「動けない」が「条件次第で動ける」に変わる人が大半だ。制約は"感覚"で語った瞬間に、実際の3倍重くなる。

盲点②:「家族に反対されるかもしれない」で止まっている

退職面談で本当に言われるのは、「家族に反対された」ではなく、「家族に反対されるかもしれないから、まだ話していない」だ。

エン・ジャパンの調査でも、家族から実際に反対を受けた人は23%に過ぎない。つまり、転職を考えているミドル世代の77%は、家族に反対されていない。にもかかわらず、「反対されるかもしれない」という想像が、相談そのものを封じている。

人事部の評価会議では、「家庭の事情で動けない」と自己申告する社員を"安定枠"として扱うことがある。異動の打診も、抜擢候補からも外れていく。本人は「家族のために耐えている」と思っているが、組織からは「成長意欲がない人」に見えている。この認識のズレが、3年、5年と積み重なると、本当に動けなくなる。

朝6時に起きてヨガをしてから記事を書く日課の中で、私はよくこの構造を考える。「話していないのに、反対されたことにしている」——この自己完結型の諦めが、制約思考の最も危険なパターンだ。

盲点③:「年齢的にもう遅い」は市場を見ていない証拠

マイナビの転職動向調査2026年版によると、2025年の転職率は7.6%と過去最高を記録した。特に注目すべきは、40代・50代のミドル層の転職が活発化している点だ。

私が採用責任者として1500名以上を面接した経験から言えば、35歳以上の候補者が落ちる最大の理由は「年齢」ではない。「年齢を言い訳にして、自分の市場価値を確認していないこと」だ。

具体的には、こんなパターンが多い。

  • 社内では「部長候補」と言われているが、職務経歴書を5年以上更新していない
  • 「自分の市場価値は分からない」と言いながら、転職エージェントに1社も登録していない
  • 「この年齢では厳しいですよね?」と聞くが、同年代の転職成功事例を1件も調べていない

年齢が制約になるのは事実だが、制約の重さは「調べたかどうか」で劇的に変わる。「遅い」と感じた時点で調べる人は動ける。「遅い」と感じた時点で諦める人は、来年も同じことを言っている。

制約思考から抜け出す3ステップ

退職面談1000件の経験から、制約で動けない人が最初にやるべきことを3つに絞った。

ステップ1:制約を数字に変換する

「ローンがあるから無理」→「月12万の返済があり、手取りの30%を占める。年収が20%下がると生活防衛ラインを割る」。制約を言語化ではなく数値化することで、「動けない」が「条件」に変わる。

ステップ2:「反対されるかも」を「聞いてみる」に変える

家族に転職の話を切り出す必要はない。まず「最近、仕事でこういうことを考えている」と情報共有から始める。退職面談で「妻に話してみたら、意外と『応援する』と言われた」というケースは、体感で6割を超える。想像上の反対より、実際の反応のほうが遥かに穏やかだ。

ステップ3:市場価値を1回だけ確認する

転職する必要はない。転職エージェントに1社だけ登録して、自分の市場価値を聞いてみる。それだけで「年齢的に無理」が「思ったより選択肢がある」に変わることがある。逆に「今の会社のほうが条件がいい」と分かれば、それは「動かない」ではなく「今は動かないと決めた」になる。意思決定の質がまったく違う。

「動けない」と「動かないと決めた」は別物

退職面談で、あるベテラン社員がこう言った。

「10年間、ローンと家族を理由に転職を先送りしてきました。でも本当は、自分の市場価値を知るのが怖かっただけでした」

この言葉は、制約思考の本質を突いている。制約は「動けない理由」ではなく、「動かなくていい理由」として機能している

住宅ローンがあっても転職する人はいる。家族がいても転職する人はいる。40代でも50代でも転職する人はいる。違いは制約の有無ではなく、制約を「条件」に変換したかどうかだ。

「動けない」のか、「動かないと決めた」のか。この2つは、外から見れば同じだが、3年後のキャリアにおいて決定的な差を生む。

よくある質問(FAQ)

Q1. 住宅ローン返済中に転職すると、ローン審査に影響しますか?

既に契約済みの住宅ローンが転職で不利になることはありません。ただし、借り換えや新規のローンを検討する場合は、転職後の勤続年数が審査基準になることがあります。既存ローンの返済は雇用形態が変わっても契約条件は変わりません。

Q2. 年収が下がる転職でも、住宅ローンを維持できますか?

月々の返済額が手取りの25%以内であれば、一般的に維持可能とされています。転職前に「手取りの最低ライン」を計算し、そのラインを上回る求人に絞ることで、ローンと転職を両立できます。

Q3. 家族への転職の切り出し方がわかりません。

「転職したい」ではなく、「最近こういうことを考えている」という情報共有から始めてください。決定事項ではなく思考過程を共有することで、相手に考える余地が生まれ、反発を招きにくくなります。

Q4. 40代の転職は本当に不利ですか?

マイナビ2026年版調査では40代以上の転職が活発化しています。年齢自体よりも「年齢に見合った実績を市場言語で語れるかどうか」が合否を分けます。社内用語でしか成果を語れない場合は、転職エージェントに相談して翻訳の壁打ちをすることをお勧めします。

Q5. 転職しないと決めた場合でも、やるべきことはありますか?

「動かないと決めた」のであれば、その判断を定期的に見直す仕組みを作ってください。半年に1回、職務経歴書を更新するだけでも、自分の市場価値の変化に気づけます。「動かない」と「動けない」を混同しないことが、キャリアの選択肢を維持する最低条件です。

参考文献

  • Job総研「2025年 退職に関する意識調査」(パーソルキャリア, 2025年3月)——辞めようと思っても辞められなかった経験がある社会人54.9%、理由1位は「転職先が見つかるか不安」76.9%
  • エン・ジャパン「ミドル世代の転職の引きとめ・家族の反対 調査」(2026年, 回答者2,247名)——家族の反対で転職をとりやめた人44%、実際に反対された人は23%
  • マイナビ「転職動向調査2026年版(2025年実績)」(2026年3月)——転職率7.6%で過去最高、40代・50代のミドル層の転職活発化