なぜ会社は「自己都合退職」にしたがるのか

退職を決意した翌日、人事担当者に呼ばれてこう言われた経験はないだろうか。「退職届には一身上の都合と書いてください」——。

社会保険労務士として独立して3年、毎月のように届く相談の中で最も多い誤解がある。「退職届に一身上の都合と書いた=自己都合退職が確定した」という思い込みだ。

結論を先に言う。退職届の文言とハローワークの離職区分判定は、法的に別の問題だ。実態が会社都合に当たるなら、退職届に何と書こうとも、会社に正しい離職票の記載を求める権利がある。それでも会社が応じない場合は、ハローワークへの異議申し立てという手段が残っている。

なぜ会社は「自己都合にしたい」のか。理由は経営上の損得だ。会社都合退職(解雇・退職勧奨等)が増えると、雇用調整助成金などの各種助成金の受給要件に悪影響が出る。また、会社都合による離職者が一定数を超えると、ハローワークでの求人受付制限が科されることもある。会社側には労働者を自己都合に誘導する明確なインセンティブがある。

監督官時代に見たのは、この誘導が意図的に行われているケースだった。退職勧奨の事実を曖昧にしたまま、労働者に「自己都合で」と署名させる手口は、7年間の監督官経験の中で何十件も目の当たりにした。

自己都合と会社都合——失業保険の実際の差

まず損得を数字で確認しておく。

自己都合退職(2025年4月改正後)会社都合退職(特定受給資格者)
給付制限1ヶ月(5年以内3回以上は3ヶ月)なし
受給資格の被保険者期間離職前2年間で12ヶ月以上離職前1年間で6ヶ月以上
給付日数(勤続10年・35歳)120日180日
差額試算(月給30万円の場合)—約36万円以上(60日分相当)

給付制限がないことに加え、給付日数が最大2倍超になる年齢・勤続年数の組み合わせもある。自己都合か会社都合かの違いが、数十万円単位の実損になることを忘れてはならない。

会社都合に変更できる4つのケース

雇用保険法第23条および厚生労働省告示「特定受給資格者及び特定理由離職者の範囲と判断基準」(2025年7月版)に基づき、以下の4ケースが会社都合退職(特定受給資格者)として認定される可能性が高い。

ケース1:退職勧奨を受けた

「会社の方針で」「ポジションがなくなって」と言われ、実質的に退職を求められた場合だ。使用者から直接または間接に退職の意思表示を勧められたことが認められれば、特定受給資格者の「解雇等」区分に該当する。

重要なのは、会社側の発言が「お願い」であっても「実質的な勧奨」になり得るという点だ。面談が複数回に及ぶ、退職後の条件を提示された、特定の職務への配置転換を示唆された——こうした事実は退職勧奨の証拠として機能する。

ケース2:長時間残業・ハラスメントで追い込まれた

月の残業時間が一定基準を超えている場合、または職場のハラスメントにより精神的・身体的健康を損なって辞めた場合は、特定受給資格者の認定対象となる。

長時間残業の認定基準は3通りある。①直前1ヶ月に100時間超、②直前3ヶ月の各月に45時間超、③直前2ヶ月以上の平均が80時間超——いずれか1つを満たせばよい。タイムカードや業務メールのタイムスタンプが証拠になる。

なお、労働基準法第5条によると、使用者は暴行・脅迫等の強制手段によって労働を強要してはならない。ハラスメントによる強制的な退職環境がこれに当たると判断されれば、行政指導の対象になります。

ケース3:労働条件が雇用契約と異なった

入社時の雇用条件通知書や労働契約書に記載された賃金・勤務地・職務内容が、実際の労働条件と著しく異なっていた場合も特定受給資格者の対象だ。「話が違う」という状況で退職を余儀なくされた相談者に対しては、雇用条件通知書の原本をまず確認するよう助言している。

ケース4:賃金未払い・遅延が続いた

賃金の未払いや遅延が一定程度継続している場合も会社都合に該当する。具体的には「賃金の3分の1超が2ヶ月以上支払われなかった」または「直近6ヶ月に3ヶ月以上の賃金遅延があった」場合だ。給与明細と振込記録を照合するだけで立証できる。

離職票の記載を変えるための3ステップ

Step1:退職前に証拠を保全する

退職届を出す前が証拠収集の最後の機会だ。退職告知後に会社がシステムへのアクセスを制限するケースは実際にある。以下5項目を先に揃えておく。

  • タイムカードまたは勤怠記録のスクリーンショット(月次で3ヶ月以上)
  • 退職勧奨の会話・面談の録音(1回でも有効)
  • ハラスメントの証拠(メール・チャット・業務日誌)
  • 雇用条件通知書または労働契約書の原本コピー
  • 給与明細と振込記録の照合データ

Step2:人事への申し入れ——具体的な言い方

証拠が揃ったら、書面(メールまたは内容証明郵便)で会社に離職票の記載変更を申し入れる。口頭では「言った・言わない」の水掛け論になるため、必ず書面で残すことが鉄則だ。

以下のフレームを参考にしてほしい。

「○月○日の面談で退職の検討を促す発言があったと認識しています。雇用保険法上の退職勧奨に該当する可能性があるため、離職票の離職理由区分について、実態に即した記載をしていただけますか。なお、当方では面談に関する記録を保管しています」

重要なのは「証拠がある」と明示することだ。条文番号を添えるとさらに効果が高い。「雇用保険法第23条第2項ならびに厚生労働省告示に基づく特定受給資格者の認定基準に照らして申し入れます」と添えるだけで、会社側の対応が変わることがある。

Step3:会社が拒否した場合はハローワークで異議申し立て

会社が離職票の記載変更に応じない場合、ハローワークへの異議申し立てを行う。手順は次の通りだ。

  1. 離職票-2の「離職者本人の判断」欄に「事業主の記載内容は事実と異なる」と記入する
  2. ハローワーク窓口で、保全した証拠(録音データ・タイムカード等)を持参して申告する
  3. ハローワークが会社に事実確認の調査を行い、最終判定を下す
  4. 判定に不服がある場合は、雇用保険法第69条に基づく審査請求(処分を知った日の翌日から3ヶ月以内)を申し立てる

「退職届に一身上の都合と書いてしまったが、これで確定か」と尋ねてくる相談者は多い。退職届の文言はハローワークの区分判定を縛らない。実態の証拠があれば、区分変更は十分に可能だ。退職後でも証拠を持参して再申告することができる。

まとめ:法的根拠で動くことが最短の解決策

「自己都合退職にしてください」という会社の言葉は、法的拘束力のある命令ではない。退職届に何と書くかと、ハローワークがどの区分で認定するかは別の問題だ。

実態が退職勧奨・長時間残業・労働条件相違・賃金未払いのいずれかに当たるなら、今すぐ証拠を保全し、書面で記載変更を求める価値がある。会社が拒否してもハローワークで証拠を示せば覆せる可能性は十分にある。

感情論ではなく、証拠と法律で動く。数十万円の実損がかかっている話だからこそ、正確な手順を踏むことが重要だ。

よくある質問(FAQ)

Q1. 退職届に「一身上の都合」と書いてしまいました。今から会社都合への変更はできますか?

可能です。退職届の文言はハローワークの区分判定に直結しません。離職票を受け取った後でも、証拠を持参してハローワークに異議を申し立てれば区分変更が認められた事例が複数あります。証拠の鮮度が保たれている早い段階での申し立てが有利です。

Q2. 退職勧奨の録音がありません。録音なしでも認定されますか?

録音なしで認定された事例はあります。退職勧奨の事実を示すメール・チャット・面談参加のスケジュール記録・複数回の面談実績なども証拠として機能します。ただし録音は最も強力な証拠なので、面談が続く場合は今から記録を始めることをお勧めします。

Q3. 会社に変更を申し入れたら関係が悪化しませんか?

退職することが前提であれば、関係悪化よりも経済的な実損を防ぐことを優先してください。書面で申し入れる際は感情的な表現を避け、「実態に即した記載をお願いしたい」という事務的なトーンを保つことで摩擦を最小化できます。

Q4. ハローワークの調査では会社に何を確認するのですか?

ハローワークは会社に対して、退職に至る経緯・面談の有無・残業実態・賃金支払い状況などを文書で確認します。会社側も調査への虚偽回答は行政上のリスクがあるため、証拠がある場合には覆りやすくなります。

Q5. 離職票がまだ届いていない段階で動くことはできますか?

できます。退職前・退職直後が証拠保全の最も重要な時期です。離職票を受け取る前から証拠を整理し、必要であれば離職票の記載について会社に書面で確認しておくことが後の手続きを有利にします。

参考文献・法令

  • 雇用保険法第23条(特定受給資格者の範囲)
  • 厚生労働省告示「特定受給資格者及び特定理由離職者の範囲と判断基準」(2025年7月改正版)、厚生労働省
  • 雇用保険法第69条(審査請求)
  • 労働基準法第5条(強制労働の禁止)
  • 下関商業高校事件(最一小判昭55.7.10)——退職勧奨が退職強要に変わる判断基準のリーディングケース