doda転職理由ランキング2025年版によると、「給与が低い・昇給が見込めない」が5年連続で転職理由の1位(36.6%)を占めている。Job総研の2025年人事評価実態調査では、69.6%が人事評価に不満を持ち、69.0%が「昇給を待つより転職を選ぶ」と回答している。

これだけのデータが並ぶと、「年収が上がらないなら転職すればいい」という結論は正しいように見える。だが、退職面談1000件を経験してきた立場から正直に言うと、この判断は半分しか正しくない。

退職面談で本当に言われるのは、「転職したら年収は上がりましたが、思っていたのと違いました」という後悔と、「あのとき残留という選択肢をちゃんと確認していなかった」という言葉だ。両方とも同じ頻度で出てくる。

問題は転職か残留かの選択ではなく、その判断に至るプロセスの設計にある。

年収が上がらない不満の判断を誤る3つの構造

構造1:不満の主語が「年収という数字」で止まっている

「年収が上がらない」という不満には、実は3種類の不満が混在している。

  • 制度の問題:賃金テーブルの上限が低く、制度設計上これ以上上がらない
  • 評価の問題:上がる余地はあるが、評価会議で自分の実績が届いていない
  • 市場の問題:今の会社の水準では上限があり、市場平均との乖離が大きい

人事部の評価会議では、この3つはまったく別の問題として処理されている。制度の問題であれば、残留で解決する手段はほぼない。評価の問題であれば、アプローチを変えれば残留でも解決できる可能性がある。市場の問題であれば、転職が合理的な選択になる。

ところが多くの人は、3つを「年収が低い」という一つの感情にまとめたまま判断する。その結果、制度上は残留でも上がる余地があったにもかかわらず転職した人も、制度上すでに上限に達していたのに「もう少し待てば上がる」と残留した人も、同じように後悔に至る。

採用側の論理で言うと、転職面接でも「なぜ転職を検討しているのか」という問いに対して、「年収が上がらないから」という答えは評価会議でほぼ加点にならない。「自分の経験が今の会社の賃金テーブルの上限を超えた」「市場評価との乖離を確認した」という具体的な根拠を示せる候補者との評価差は大きい。

構造2:「転職すれば年収が上がる」を等式として信じている

doda調査によると、2025年10月〜2026年3月の期間中に転職した人の64.1%が年収アップを実現し、平均アップ額は109万円という数字がある。この数字だけ見ると転職は有効な手段に見える。

だが、評価会議で20年間採用決定に関わってきた経験から言うと、転職後の年収は「等級×給与レンジ」という構造で決まり、この構造は入社後も変わらない。転職で年収が上がるのは、前職の等級より高いポジションで採用されるか、賃金テーブルの水準が高い会社に移るかの2パターンに限られる。

前職の年収を上回る提示を受けたとしても、それが相手の等級テーブルの下限に近い場合、入社後の昇給余地は狭い。一方、前職から年収が下がっても上位等級で採用された場合、3年後の年収は転職しなかった場合より高くなるケースもある。

退職面談で本当に言われるのは、「転職先で提示された金額が入社後に動かなかった」という後悔だ。最初の数字だけを見て、入社後の等級と昇給余地を確認しなかった、という構造的なミスが起きている。

横浜港を散歩しながらこのことをよく考えるのだが、転職市場での年収交渉で損をする人に共通しているのは、「いくら出してもらえるか」の交渉に終始して「どの等級で採用されるか」への働きかけをしていないことだ。金額の交渉ではなく、等級判定を変える根拠を示す方向で話すべきで、この順序を間違えている人が多い。

構造3:残留で上げる余地があるかを確認していない

人事部の評価会議では、昇給は「今の等級定義に対して実績が上回っているか」という基準で判断される。上司に「昇給を希望しています」と伝えることと、評価会議でその人の昇給が議題に上がることは、まったく別の話だ。

Job総研の調査では、評価アピールを実施した人の82.1%が「評価に影響した」と感じているが、その評価アピールが評価会議で使える素材になっているかどうかはまた別の問題だ。上司は推薦者であって決裁者ではない。合議体に持ち込む素材がなければ、上司がどれほど同意していても通らない。

多くの人が残留での昇給を「限界」と判断するのは、評価会議の内部構造を知らないまま「上司に何度か言ったが動かなかった」という経験を根拠にしているからだ。

実際には、正式な評価面談の2〜3週間前に事前の場を作り、「課題→行動→数字の3点セット」で上司に素材を渡していた人が、翌期に昇給を実現したケースは少なくない。残留での昇給が「無理」なのか「設計次第」なのかを確認せずに転職を決めると、判断の質が落ちる。

後悔しない判断の3軸

軸1:不満を「制度・評価・市場」の3つに分解する

まず、自分の年収への不満がどの種類に属するかを確認する。

制度の問題を確認する方法:自社の賃金テーブル(等級別の給与レンジ)を確認し、現在の等級の上限がいくらかを把握する。上限に達している、または差が2〜3万円以内であれば、制度上の限界に近い可能性が高い。

評価の問題を確認する方法:上司から「次の等級に上がるには何が必要か」を具体的に確認したことがあるかどうか。答えを聞いたことがなければ、評価の問題である可能性がある。

市場の問題を確認する方法:転職エージェントに1回登録して、同じ職種・同じ経験年数での市場水準を確認する。この確認をせずに「市場と乖離している」と判断することはできない。

軸2:残留で上げる余地を「評価会議の論理」で確認する

評価会議で昇給が議題に上がる人の共通点は、上司が評価会議に持ち込める素材を事前に持っていることだ。具体的には:

  • 評価面談の2〜3週間前に上司に「成果の確認をしたい」と事前の場を設定する
  • そこで「課題→行動→数字(または成果の変化)の3点セット」を文書で渡す
  • 賃金テーブルの上位等級の定義と、自分の現在の業務範囲の一致点を示す

これを1〜2回試みて、それでも動かなかった場合は、残留での昇給余地が限定的という判断の精度が上がる。試みずに「動かなかった」と判断している人は、評価の問題を制度の問題と混同している可能性がある。

軸3:転職市場での年収を1回確認してから決める

採用側の論理で言うと、候補者が「今の会社での年収の限界を理解した上で転職を決めた」という状態で来た場合、面接での一貫性が全然違う。「何となく上がらない気がして転職した」という候補者との差は、面接10分以内で出てくる。

転職市場の年収確認は「転職するかどうかを決めるため」ではなく、「残留か転職かの判断に必要な情報を揃えるため」にやる。この確認をしないまま「転職すれば年収が上がる」と思い込んで動くか、「転職しても変わらないかもしれない」と思い込んで動かないかの両方が、判断の精度を下げる。

自己点検3ステップ

以下の3ステップで現在地を確認してほしい。

ステップ1:不満の主語を3つに分類する(15分)
「年収が上がらない」という不満を紙に書き、その原因が「賃金テーブルの限界」「評価が届いていない」「市場水準との乖離」のどれかを仮で書き出す。1つに絞れなくても構わない。

ステップ2:上司への確認を1回設定する(翌週中)
「次の等級に上がるために、今の自分に何が不足しているか具体的に教えてほしい」という問いを上司にぶつける場を作る。この問いへの回答がなければ、評価の問題かどうかの判断ができない。

ステップ3:転職エージェント1社に現状を話す(今月中)
今すぐ転職するかどうかに関係なく、同じ職種・経験年数での市場年収レンジを確認する。この情報なしに残留か転職かの判断を下しても、情報が足りていない状態での判断になる。

まとめ

「年収が上がらないから転職」という判断は、不満の主語を分解していない・残留での余地を確認していない・市場水準を確認していない、という3つの設計ミスを含んでいることが多い。

退職面談で本当に言われるのは、「転職してよかった」か「残ればよかった」ではなく、「もっと情報を揃えてから決めればよかった」という後悔だ。

残留か転職かの判断は、感情ではなく情報で設計する。判断の質を上げるためにやることは、この記事に書いた3軸の確認だけだ。

よくある質問(FAQ)

Q. 何年も給与が変わらないのに、まだ残留する余地があるということですか?

A. 年数だけでは判断できません。重要なのは、「評価会議に届く形で実績を示したことがあるかどうか」です。上司への口頭報告と、評価会議で使える素材として届けることは別物です。課題→行動→数字の3点セットで文書化して上司に渡す、という設計を一度も試みていない場合、評価の問題を制度の問題と混同している可能性があります。

Q. 評価会議の内部構造は一般社員には知る方法がないのでは?

A. 完全な情報は得られませんが、「次の等級に上がるには何が必要か」を上司に直接確認することで、評価会議で使われる判断基準の一部が得られます。また、人事制度に等級定義が記載されている場合、それが評価会議の判断軸と一致します。就業規則や人事規程は社員が閲覧できる権利があります。

Q. 転職エージェントに相談すると転職を勧められそうで怖いです

A. 現実的な話をすると、エージェントは成約時に手数料が発生するため、転職を勧める傾向はあります。ただ、「情報収集のためだけに相談しています」と最初に伝えることで、市場水準の情報を得ることに集中できます。相談したからといって転職しなければならない義務はありません。

Q. 転職後の年収が提示額から動かないのはなぜですか?

A. 年収は入社後も「等級×給与レンジ」で決まります。入社時に低い等級で採用された場合、昇給余地が最初から狭い状態が続きます。オファー面談で確認すべきは提示額だけでなく、「何等級での採用か」「昇給ペースの目安」「上位等級の基準」の3点です。この確認をせずに入社した場合、転職直後は年収が上がっても数年後に再び停滞するケースがあります。

Q. 年収交渉で「前職の年収に合わせてほしい」と伝えるのは有効ですか?

A. 採用側の論理で言うと、前職年収を根拠にした交渉は等級判定に何も働きかけません。採用側は「このポジションに何等級を設定するか」を先に決めており、その等級のレンジ内での調整が年収交渉の実態です。有効な交渉は、「自分の実績がこのポジションの等級定義に照らして上位に位置する根拠を示す」方向です。前職年収を伝えることは参考情報として機能しますが、根拠にはなりません。

参考文献

  • パーソルキャリア「転職理由ランキング2025年版」(doda、2026年2月)- 転職理由1位「給与が低い・昇給が見込めない」5年連続(36.6%)
  • Job総研「2025年 人事評価の実態調査」(2025年9月) - 人事評価への不満69.6%、転職を選ぶ69.0%
  • パーソルキャリア「転職による年収アップ成功者の傾向2026年版」(doda) - 転職で年収アップ64.1%、平均アップ額109万円
  • マイナビ「転職動向調査2026年版」(2026年3月) - 転職率7.6%過去最高、転職者の52.6%がキャリア停滞感
  • 識学「評価・昇給に関する実態調査」 - 転職後後悔59.7%