退職後に前の会社から源泉徴収票が届かない——この状況を「まあそのうち来るだろう」と放置する人は多い。しかし、それは判断ミスだ。
源泉徴収票は確定申告・年末調整の根幹をなす書類であり、これがなければ正確な所得税の精算ができない。そして会社にはその交付義務が法律で定められている。
所得税法第226条によると、退職者に対しては退職日以後1ヶ月以内に源泉徴収票を交付しなければならない。この義務に違反した場合、同法第242条で1年以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる可能性がある。
会社側が「なんとなく後回し」にしているだけのケースもあれば、意図的に送付を遅らせているケースもある。いずれにせよ、対処の手順は明確だ。届かない理由ごとに取るべき行動を3ステップで整理して解説する。
なぜ源泉徴収票が届かないと困るのか
源泉徴収票は、1年間の給与総額と源泉徴収税額を証明する書類だ。退職後に必要になる場面は主に3つある。
① 転職先の年末調整
転職した年は、前職の源泉徴収票を転職先に提出し、前職分と合わせて年末調整を行う必要がある。提出期限(通常11月中旬)までに届かなければ、転職先での年末調整に前職分が含まれず、自分で確定申告しなければならなくなる。
② 自分で確定申告をする場合
転職先がない場合や、フリーランスに転身した場合は確定申告が必要になる。源泉徴収票がないと前職の所得額を正確に把握できず、過払いした所得税の還付も受けられない。
③ 各種申請の収入証明
住宅ローン審査、奨学金返済減額申請、医療費控除の計算など、源泉徴収票を収入証明として使う場面は退職後も複数ある。「届かないから申請できない」という状況は、確実に損失につながる。
会社の法的義務:所得税法第226条
所得税法第226条によると、給与の支払者(会社)は、退職した従業員に対して退職の日以後1ヶ月以内に源泉徴収票を交付しなければならない。この期限は暦上の1ヶ月であり、「会社が退職を認めているかどうか」に関係なく発生する。
この義務に違反した場合の罰則は同法第242条第8号に規定されており、1年以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる可能性がある。実際の刑事訴追は稀だが、税務署の指導が入ると会社は速やかに対応せざるを得なくなる。行政指導の対象になります、という事実が持つ実務上の圧力は大きい。
注意すべき点は、退職届の受理・不受理とは完全に独立した義務だという点だ。退職届を「受け取っていない」と主張する会社であっても、実際に給与を支払った期間に係る源泉徴収票の交付義務は消えない。
届かない原因3パターン
パターン1:事務処理の単純遅延型
最も多いのがこれだ。担当者の引き継ぎ不足、給与計算ソフトの操作ミス、単純な後回しによって送付が遅れている。この場合はメールで一度確認すれば対応してもらえることが多い。ただし、「確認します」という回答から実際の送付まで放置されるケースも多いため、期限を明示した書面の催促に切り替えることが重要だ。
パターン2:嫌がらせ型(ヤメハラの延長)
退職時に揉めた場合や、引き継ぎが不十分と会社側が認識している場合に、意図的に送付を遅らせるケースがある。監督官時代に見たのは、退職届の受け取りを拒否した会社が離職票と源泉徴収票の発行も意図的に遅らせていたパターンだ。口頭での催促はほぼ効果がなく、書面による記録と法的根拠の明示が必要になる。
パターン3:会社倒産・連絡途絶型
会社が廃業・倒産していたり、担当者が退職して連絡が取れなくなったりしているケース。この場合は税務署での代替手続きを活用する必要がある。
3ステップの対処法
Step 1:書面(メール+内容証明郵便)で催促する
まず書面で記録を残しながら催促することから始める。電話だけでは「言った・言わない」になるため、メールを第一選択肢にする。
催促文に盛り込むべき要素は以下のとおりだ。
- 氏名・退職日・最後に在籍した部署
- 所得税法第226条に基づく交付義務の明示
- 「退職日以後1ヶ月以内」という法定期限の確認
- 送付期限の設定(「○月○日までに」と明記)
- 期限を過ぎた場合の税務署への届出を予告する一文
メール催促後も10日以内に応答がなければ、内容証明郵便(配達証明付き)で代表取締役宛てに同内容を送付する。宛先を代表取締役にするのは、受取拒否を争われるリスクを減らすためだ。
催促文に「所得税法第226条」という条文番号を明記するだけで、会社側の対応速度が変わることは実務でも確認している。「法的根拠を把握している相手だ」と認識されると、放置のリスクを会社側が計算するようになる。
Step 2:税務署に「源泉徴収票不交付の届出書」を提出する
書面催促後も2週間以内に交付されない場合は、前職会社の所在地を管轄する税務署に「源泉徴収票不交付の届出書」を提出する。
この届出を受けた税務署は会社に対して指導を行う。税務署からの連絡が入ると、大多数のケースで会社が速やかに交付に応じる。刑事罰よりも行政指導を恐れる会社の心理が、ここでは最大のレバレッジになる。
届出書の様式は国税庁のウェブサイトからダウンロードできる(「源泉徴収票不交付の届出書」で検索)。記載事項は氏名・住所・前職の会社名・退職日・給与支払期間の概要など。持参または郵送で提出できる。
Step 3:会社が倒産している場合の代替手段
会社が既に廃業・倒産していて源泉徴収票の入手が物理的に不可能な場合は、以下の代替手段を活用する。
給与明細から自分で集計する
月次の給与明細が手元にあれば、年間の給与総額と源泉徴収額を自分で集計できる。確定申告の際に入手不能である旨を申告書に明記し、税務署の窓口に相談することで対応方針を案内してもらえる。
税務署に源泉徴収に関する資料照会を依頼する
会社が廃業・倒産していても、税務署には源泉徴収に関する申告資料が保存されているケースがある。担当税務署に事情を説明することで、確認できる情報の範囲を教えてもらえる場合がある。
年金事務所で標準報酬月額を確認する
日本年金機構に問い合わせれば、標準報酬月額の記録を確認できる。厳密な給与額とは異なるが、所得の概算把握と確定申告時の資料として補完的に使える。
実際の相談パターンから
社労士として独立してから、GW明けや年度末に「退職後の書類が届かない」という相談が増える時期がある。源泉徴収票と離職票は、その中でも特に多い二大トラブルだ。
どちらも共通しているのは、書面で条文番号を明記した催促を送った後に状況が動くという点だ。電話で「まだですか?」と聞いているだけの段階では、会社側の担当者が後回しにする余地がある。「所得税法第226条に基づき、○月○日までの交付を求める」という書面が届くと、人事・法務・顧問税理士のいずれかが動かざるを得なくなる。
離職票の未交付についても全く同じ構造が当てはまる。雇用保険法施行規則第7条の条文番号を書面に明記するだけで、何週間も放置していた会社が1週間以内に対応したケースは一度や二度ではない。証拠が残る書面での催促は、退職後のすべての書類トラブルに共通する最も確実な手段だ。
よくある質問(FAQ)
- Q. 退職日から何ヶ月も経っているが、今からでも請求できるか?
- A. 請求できる。所得税法上の交付義務に消滅時効は存在しない(刑事罰の公訴時効は別論)。ただし会社が倒産・廃業していると現実的な入手が困難になるため、Step 3の代替手段を早めに検討する必要がある。
- Q. 年末調整の締め切りに間に合わない場合はどうすればいいか?
- A. 転職先の年末調整に前職の源泉徴収票が間に合わない場合、前職分の精算は翌年2月〜3月の確定申告で行う。源泉徴収票が未入手のまま確定申告の時期が来た場合は、給与明細を持参して税務署の窓口に相談するのが最も確実だ。
- Q. 源泉徴収票がなくても確定申告はできるか?
- A. 原則として源泉徴収票の添付が必要だが、入手が困難な場合は給与明細の写しなどを代替書類として使えるケースがある。「入手不能である理由」を申告書に明記し、税務署の担当者に相談することで対応方針が示される。黙って未添付で提出するのではなく、必ず事前に窓口相談を行うこと。
- Q. 税務署への届出書を提出すると、会社との関係が悪化しないか?
- A. 税務署への届出は本人名義での申請になるが、それを理由に会社が不利益な行為をすることは法的に許されない。また退職済みであれば、既に雇用関係は終了しており「関係が悪化する」実害は限定的だ。権利行使を「関係悪化」の恐れで諦める必要はない。
- Q. 会社が「発行する義務はない」と言っている場合はどうすればいいか?
- A. これは明白な誤りだ。所得税法第226条の交付義務は、会社規模・退職の経緯・退職届の受理・不受理に関係なく発生する。このような主張をする会社には書面(内容証明郵便)で条文を示した上で再度請求し、それでも応じなければ税務署への届出(Step 2)に進む。
参考文献
- 所得税法第226条(給与等の源泉徴収票)— e-Gov法令検索
- 所得税法第242条(罰則)— e-Gov法令検索
- 国税庁「源泉徴収票不交付の届出書」様式・記載要領(国税庁ウェブサイト)
- 国税庁「退職所得の源泉徴収票・特別徴収票の書き方」(令和7年分)
- 雇用保険法施行規則第7条(雇用保険被保険者資格喪失届の提出)— 離職票との比較参考





